自分自身を俯瞰するブログ

自分自身の俯瞰、思考の整理のために始めました。

共感することと価値観とコミュニケーション

今日は蒸し暑いですね。

台風の影響なのか、海沿い特有の蒸し暑さがやってきました。

風は涼しいので、窓を開け放してエアコンから脱却してみようと思います。

もちろん水分、塩分は取りながら、暑すぎたらエアコンも使います。

冷房は大事だけど、ずっと空調が効いているところにいると結構しんどいんだよね。

今年は仕事していないから暑さに身体を慣れさせているから逆に調子が良い。

 

さて。

共感やコミュニケーションについて、仕事をしたり、人と接しているときに感じていたことを書いていこうと思います。

 

相手に共感するということは経験上、2つのパターンがあると感じています。

これから共感についての本を読むので、実際と違ってもご了承ください。

仕事をしていた時に買っておいて、時間と気力がなくて積読のパターンというお決まりのコースでいろいろと蔵書があるのです。これを機に読んでみようと思います。

 

まずは自分の実感と経験談から。

 

 ひとつは表面上の共感。偏見かもしれないけど、女の子同士の「あーわかるわかる!」みたいな。とても表面的。その場限りなら無問題。

 でもこの共感、時々とても気持ちが悪くなるんです。しっくりこなくて。なんとか合わせようとすると、違和感が出てきてしんどくなる。その場の和を乱すよりは良いかと思って合わせるんだけど、合わせきれなくて、我慢ならなくなる。

 

 相手の価値観が自分と違うとわかると途端に「合わせてよ!」みたいな、違うことがまるでダメみたいな価値観とかみんなと同じでないということの不安感がお互い出てきて、余計にこじれる感じ。

 

 こういう世界もあるって思ってくれるだけでも、キャッチボールがらくになるんだけども。どうも自分が良いと思ったものを受け手側も良いと思ってくれないと不安になる方々がいらっしゃるようで。そういう人だとわかるまでに結構時間がかかってくると、こっちもそれに気づいたところでだんだんしんどくなる。

 

 一般的に「みんな好きでしょ○○ニー」「だからあなたもそうよね?」という意識。とか。「こっちはあまり好きではない。」ということを受け入れられない。そりゃ好きな人は多いと思う。けどそこまで好きではないという人もいるわけ。どっちが多数意見とかというより、そういう人たちがいるということを受け入れられない感じかな。

 

 『○○ニー好きなあなた』を否定しているわけではないんだけどね。そういう気分になってしまうんでしょうか。すごく必死に良さを訴えてくるのだ。または集団からはじくような。

 でもこっちはもうそれについては、自分はそこまで好きになれないというのも自覚していて、それを上回る好きなものがあるから、無理に合わせられないんだよね。

 かわすなら同意をすればいいんだろうけど、そこも嘘をつきたくないし。自分がますますしんどくなる。全く嫌いではないし、曲とか良いなって思うことはあるけど、現地に行ってまでというのもある。人混み苦手、絶叫系も苦手、作られた世界だって認識してしまうので、シンクロできない。ほら好きな要素が少ないのに、共感は難しいでしょう?そこをわかってほしいんだけどね。いいじゃん!好きでも嫌いでも。

 ○○ニー好きという感情は認めてるよ?。好きなものがあるのは良いことだし、好きなものを追求したりするのはみんな同じ部分だと思う。だからあなたは否定しないよ。だけど自分の好きなことを相手に過剰に求めるのはやめようよということ。

 

 こっちとしては「放っておいて~。」ってなる。うまく察してフェードアウトしてくれれば良いんだけど、それができない人もいる。で、面倒なことに、こっちもなんだか寂しさも出てくる。そりゃそういう押し付ける部分がわかるまでは楽しいって思っていたりするわけで。

 こっちの相手の尊重の仕方が合わない。ギブ&ギブじゃない、一方的なコミュニケーションになっているってことに気づいていない。新しい人を受け入れやすい環境づくりに徹していたら、いつの間にか飲み込まれていたということに気づく。でも時すでに遅し。相手のペースになってしまっている。

 よくある話だとは思うけども。

 

 仕事だけでもこういう壁を作らずにやり取りができると助かるんだけど、こういう方がいるとなんだかとってもやりにくい。自分も相手も壁を作ってしまうから。

 プライベートな話題はある程度分かるまでは開示しなくてもいいのかも。でもコミュニケーションと考えるとある程度開示する方が相手もこっちが何者かが見えてくるから安心するというのもあるのかな。

 

 こういうのもいじめの発端にもなる。価値観の相違を受け入れられない。自分視点を他者視点に切り替えられないみたいな。偏見も同じ感じ。

 

 おっと長くなってしまった。


 共感のもう一つは本当に似たような興味関心を持ってる人としゃべっている時の共感。好きなものが一緒というまでは表面的な共感の範囲だと思うんだけど、潜在意識の話になるのだろうか。共通認識が深い部分では潜在意識レベルで価値観が近いということかな。

 まだちょっと潜在意識については整理できてないけど、タロットの無料講座で潜在意識の話が出てきたので、興味はある。いろいろと触れたスピリチュアルなお勉強の中でも結構出てくる。

 

 こういう興味関心や潜在意識の前提条件がそろっているととても心が楽なのです。話のキャッチボールがスムーズで、変な競争意識や嫉妬もなくて。ただただ純粋に話したいことそのものを話せる感じ。別の世界に出会っても受け入れられる感じかな。

 

 患者さんとのやり取りで話すテクニックとして使うこともあるけど、お互い大人だし、そこはかなり意識的に関わっているかも。結構慎重に。だけど、フレキシブルに。だからあまりトラブルがなかったんだなぁ。

 

 子どもも同じだったと思う。子どもの好きなものを興味を持って接する。同じものが好きって言われたときにこっちも嬉しいというものを出してくると、本当に素直に嬉しそうにしてくれるんだよね。素直な分、反応も早い。嘘偽りなく付き合うって難しいかもしれないけど、子どもの方ができてたりするんだよね。だからそれを見抜いてくる。相手のことをよく見て感じていると思う、子どもの方が。

 それがだんだん大人の価値観で学習していくと、表面上の価値観が固定されてしまう場合もあって。難しいねー。

 

 というところで、とりあえず頭の中は出したので、ゆっくり共感についての本を読んでみようと思います。

 では~

 

#コミュニケーション #価値観 #共感