自分自身を俯瞰するブログ

自分自身の俯瞰、思考の整理のために始めました。

onとoffの切り替えとささやかな幸せ

こんにちは。

 

 お盆休みが明けてonのスイッチが入り、気温も落ち着いたので、朝から畑で少し仕事ができました。昨日まではなんだかぐったり、まったりでずっと脳内offの状態。

 こんなにonとoffに差が出るものかと思った次第で。自律神経としてはよかったのかな。とても今はしゃっきりしています。ただ、旦那がやや風邪気味で心配ですが(汗)

 

 このお盆休み中は休み直前のスペシャル大ショックなイベントの後、そのことをどこかでぐるぐると考えつつも、まったり過ごしていました。急激なストレスにさらされた後、ゆるゆると休めたということでしょう。

 うーん。でもそうなるまでにイベント発生から10日かかった。

 まぁ医者にかかるほどのストレスにならなかったというところで及第点ですね。

 よくやった自分。(こういう自分をほめることは大事らしい)

 

 というわけで、お盆休みは旦那の長めの休みに合わせていたのと、件の精神的な疲労があるのか、バッグは編みつつ、ちょっとした外出したりしていましたが、終始あまり活動的ではない状況でした。暑かったですし。

 

 この間でのメンタルな収穫は小さな気づきやギフトをもらえたこと。

 大ショックの件があり、そのことについてプチ決断をしたところ、新たなつながりができたり、仕事繋がりの人脈から新しい出会いを頂けることになりました。それもその時の滞在場所や日程的に絶妙なタイミングで予定がつながるという。これには本当に驚きました。

 

 心から決断をするというのは本当に効果がありますね。一つ決断すると新しいことが舞い込んでくる。意図しない出会いだったり、予定していたものでも深い感動を味わったり。小さな感動でも自分にとって幸せであれば、良し。です。ささやかな幸せや感謝はとても大事。

 

 ショックな出来事があっても、小さく、ささやかでも幸せが感じられるのはとても良いです。それを一緒に共有してくれる旦那や仲間がいてくれるのが幸せです。

 

 今回は食事でした。

 他にもあるけど、一番身近でささやかな幸せを感じられるのが食事。

 

 ワインを普段飲まない夫婦なのですが、(旦那は焼酎私は日本酒)いただいたワインを飲もうということになったのです。これもいろいろなタイミングで食材が集まっていて、ワインを飲むアテがそろっていました。ここで飲まねばいつ飲むのだというくらいに。

 今までワインは飲みづらい、すっぱい、渋いなどおいしくない印象でしたが、昨年新婚旅行でイタリアに行った際、現地のワインがとてもおいしかったのです。

 しかし、お土産にはしなかった。1年経って、親から地元産の赤ワインをもらったものの、私の体調の面もあり、あまり挑戦しようという気にはならなかったのです。

 

 今回は、たまたまセールで輸入チーズを手ごろな値段で手に入れていたこと、ふるさと納税で牛すね肉と馬肉が届いていたことが重なり、すね肉はシチューとコンビーフに、馬肉は少しずつ刺身でいただくこととなりました。

 それでもだめだった時の予防線wで「シチューに赤ワインが必要だし、飲めなくても料理で使おう」位の勢いでした。

 そうして始まった赤ワイン味探訪。食べてみたらシチューも馬肉も赤ワインととても合うのです!

 さらに、柔らかいまったりとした食感のブルーチーズとクセのあるはちみつがとてもよく合うことに気づきました。

 夫婦二人で、おいしすぎて悶絶してました(笑)

 そこから後日さらに赤ワインを買い足すという始末w 完全にハマりましたね。

 

 一つ一つの現象はバラバラなんです。

 チーズを買った時期、ふるさと納税でお肉を頼んだ時期、全部バラバラ。何も意図してませんでした。その時その時は「安いし、つまみになるから」「おいしいお肉食べたい」くらい。

 はちみつなんて5月の連休のときに買ったんじゃなかったっけ?

 それが全部このタイミングで融合して、自分たちの前にやってきた。

 それをただただ楽しむ。堪能する。それがなんと幸せなことか!

 

 こういうことを経験すると顕在意識と潜在意識の一致ってどのような状況なのかっていうのを知りたくなりますね。

 心のサイン、身体のサイン、自分自身の意思で選択すること。不安や恐れが少なく、自分がやりたいと思ったこと、心地よいと感じていることを選択する。

 今は組織に属して仕事をするということをやっていないので、自分だけの時間があるとても贅沢な状況で、人生の中で大事な時間を得ています。

 幸せを感じているときは、仕事をしていない罪悪感とも離れていました。ちょっと前までそれを感じて、本当にリラックスするというのもむずかしかったので、これもびっくりしてます。

 

 マインドフルネスのことも勉強していましたが、瞑想が習慣化していたわけではなかった。幸せの概念は頭では理解していたけど、実感するという学びが少なかった。

 ただ、今回は知識と実践が完全な形で結びついていましたね。形容しがたいですが、腑に落ちました。

 ただただ、”今ここ”に生きる。幸せを感じる。満たされる。

 

 あぁ。もうこれでいいんだなぁ。いろんな波があっても幸せを感じられるところに戻ってこれるなら大丈夫かな。

 

 

#自律神経 #マインドフルネス #幸せ #ワイン #潜在意識 #決断する

 

気持ちの切り替えその後

おはようございます。

 

 連日の生活サイクルがズレたことで、やや寝不足でしたが、昨夜限界を迎え、9時過ぎに寝落ちしました(笑)

 久しぶりにスッキリ6時に目が覚めたー!

 

 というところで、気持ちの切り替えその後です。

 

 仕事をしていた時と比べて何が変わったか。

 ストレス耐性が上がったからか?という結論がまず出てくる。

 いやいや、そもそも時間の余裕、心の余裕があるから切り替えやすくなったのでは?

 

 慢性的なストレス下で自律神経が乱れている状態では、ストレス負荷に対する切り替え行動に時間がかかっていた。ストレッサーに毎日会うし、相手の問題が解決されないし(笑)、普通に仕事してても見えないストレスあるし、で慢性的な状態。

 

 今はまず、ストレッサーに出会っても、それからアクションを起こされてもずっと会うわけではないし、プライベートだから仕事レベルの期待値を持っていたわけでもないし、プライベートだからこそテリトリーは守ってる。関わりの度合いはコントロールできる。今の自分にできないことに関しては丁重にお断りしても、何ら問題がないわけで。

 今までの関係性で信頼ある友人はいるので、ご飯を食べに行ったり、相談したりができる。

 

 身体も整ってきているので、調子が悪くなっても反応が早い。デトックス力があるということは体力があるということ。

 

 心の切り替えもできているということは心のデトックス力がある=心の体力も上がってきている?ということか。おかげで、今回は医師受診しなくてもいいかもしれない。本来の予約受診で対応できそう。相談はするけど。

 

 んで、今の自分は自律神経に結論が戻ってくる(笑)

 仕事辞めて何か戻ってきたかというと、そこが大きい。いかに乱れていたか。乱れていたことを自覚できていなかったか。

 

 生理周期はあまり大きな変動は無かったけど、生理痛とかPMSとかは出てた。

 

 今でも生理前のイライラはあるけど、イライラしやすいというだけなので、ゆったり過ごすこと。旦那には「生理前でイライラしやすい、すまぬ。」と伝えている。

 

 書いてみて分かったけど、これだけで済んでる。それだけでまるもうけだね。

 あとはもうちょっと回復期に身をゆだねて、日々の暮らしを積み重ねること。

 

 仕事はまだいいやー。今やったら逆戻りだってわかったし。

 

 本当にすごかった。

 過剰なストレスにさらされた時の戦闘モードが。今の立場ではできないとわかっていても、どうしたら合法的に事が収まるのかをとんでもないスピードでずっと考えてた。

 でもそれは不毛ってことに気づいた。もしSOSが来たらできることをやれば良いって結論になった。まだそこから先のコトが起きているわけではないから。

 

 まずは自分の心が楽なように。人を傷つけずに自分を癒すようにすればいい。

 

 そこでも作業療法が役に立つ。本当にすごい。ヒトの数値化できない部分に対応できるんだから。自分自身に対してのカウンセリング力が上がっているよね(笑)(自画自賛

 

 まぁ仕事に対する考え方やスタンスも再考する時期なので。

 今までのやり方が染みついているからそこのデトックスも時間がかかるかな。

 なんせ油が足りない状態で歯車をギリギリ動かしていたイメージといえば良いのか、本当に無理があるのを無理やりやってた感じだし、なまじ経験値があるから対処できちゃうというところで、ずーーーっと低空飛行でこれちゃった。

 

 周りは結果を見ているから、低空飛行でもできちゃった結果で判断されるし。

 ぱっと見しんどいってわからないみたいだし。(でもたまに会う他職種の人の方が元気ないってわかっていたので、もやつくけどw)

 

 というところで、このブログも自分を俯瞰するという意味ではとても役に立っている(2回目)。それを改めて認識できたことで今日はOK!

 

 では良い一日を。

 

#気持ちの切り替え #自律神経 #自分自身を俯瞰する 

 

  

気分が落ち込んでいる時の切り替え手段

こんにちは。

 

なんだか台風が近づいてきているのと、色んなイベントのおかげで、感情が落ち着きません。

 

いや、自宅にいる時は穏やかですが、時折ちょっと休職中くらいのざわざわ感が続くことがあり、かなりしんどい状況でした。これが続くなら、医師受診を早めようかと思うくらい。

 

良かったのは、すぐに関係する友人たちと出来事をシェアでき、理不尽な災害レベルイベントで生じた、やり場のないただただ悲しい、悔しい気持ちのとりあえずの収束を得ました。

 

でも、そのイベントの直後から友人たちとシェアするまでの3日間は仕事で問題解決をする時の過緊張状態というか、交感神経バリバリ優位の状況が続き、恨みにならないように感情を入れない非情な理性でなんでこんなことが起きているのかを考察するという状況が続き、反面泣きながら気分を落ち着けさせたいのになかなかできず苦しい状況でした。

 

イベント発生直後は夜中の3時半まで眠れず、ストレス反応で手が久しぶりに冷たくなってしまった。

自分自身の問題は微小であること、相手に振り回されないことに結論がついたところでやっと眠れる始末。

夫も含めて、友人たちに話を聞いてもらって、改めてこればっかりはは相手の問題であること、

自分にできるのは自分の問題にフォーカスすることということに落ち着きました。

もう本当にショックだったので当分小さくなるまでぶり返しは続くと思いますがね。

 

さて、こういうイベントはこちらの意図しないところで勃発するので、いくら予想できてもそれを斜め上を上回ることが起きてしまうとどかーんと心に刺さってくるわけで。。。

お盆休み中で、生活が乱れているので余計にきつかった。乱れているので夜寝る直前に大抵気持ちが沈んでぐるぐる勝手に頭が動いている感じが続いてしまう。

 

日中、夜間に関わらずこういうことになっているときに切り替える手段が色々あるので、覚え書き。これが今日の本題。

 

気持ちが辛くなったら。

 

①話をきいてもらう

②火を焚く ①と併用するとなおよし。うちではBBQがてらお焚き上げ。

③眠れなくなったら自分が面白い🤣と思える画像をネットで見る。笑うというのはかなり効果的で、スーッとリラックスできる。クスクスレベルが良いよう。

④前述した繰り返し作業をする。私は編み物とか。

⑤自然に触れる。畑や園芸作業。

⑥自然に触れる。川や海へ行く。夏なら沢や森の中が良い。

⑦神社に行く。私のパワスポは神社と水場がセットになっているところ。

⑧美味しいものを食べる。結構効果的。ぷしゅー。

⑨愛を感じることをする。

⑩多角的な推敲を誰かと一緒にする。一つの意見ではなく、複数意見を聞く。決して相手のジャッジではなく、一般的な意見、スピリチュアル系メンターからの意見をふわっと受け入れる。

11ただただ泣く。自分の感情を認める。

12音を奏でる、お鈴を鳴らす

 

今回は順不同だけど、全部やりましたw

昨日美味しいものを食べて、とても良い余韻に浸れたので、良かったですが、いつもなら寝る時間なのに、色々時間がずれてしまったので眠れなくなったのでした爆。

そこからしんどさを切り替えるために③発動。だいたいそれなりにすっと眠れる。

 

 

 

あともう一つ。シェアを友人としたときに、「許す」ということについて話しました。

起きたことに対して怒りで対処すると自分も辛くなる。相手を許すというよりは起きたこと自体を許すという感じ。自分の感情を許すとか、自分に対しても。相手が感じていることは相手の問題であって、こちらが引き受けるものではないということ。

受けた辛さを相手に返すのではなく、そこは許すということ。

 

だからといって、その相手と関係を継続するかというのは別で、自分のあり方は自分で決めて、真に楽しいことや幸せや愛を感じられることをすることが大事なのかな。

辛いことの裏に色々な学びがあるということに気づくこと。これはその友人から学んだことかな。まだ彼女ほどすっとできないけど。

 

今回の学びは夫の存在のありがたさ、友人の存在のありがたさに気づけたこと。

まだ仕事レベルのストレスはかけてはいけないという身体からのサインを受け取れたこと。

幸せは大小関係なく日常に潜んでいるのでそれを感じる余裕があること。

身体が健康になってきて溜め込まなくなってきたこと。

 

色々起きることはお互い様ですが、相手に責任を転嫁するのではなく、自分がどう在るのかを考えられるようにしたいと思います。

 

 

#自律神経    #気持ちの切り替え   #許すということ

 

 

 

自律神経とメンタルの話

おはようございます。

 

今日は自分の心身の体調と自律神経について、編み物をしながら書こうと思います。

 

 頭の整理のために何か手を動かしたいとき私は編み物に助けられているところがあります。いろいろ気持ちが切り替わらずぼーっとできないときに繰り返し作業というのは結構役に立つのかもしれません。

 

 そして出来上がった作品はそのまま使えるものにしています。アクリルたわしとか。今は本当は夏前に作り上げたかったけど、できなかった麻のバックを編んでいます。

 今回は出来上がりまでに90段以上編まなくてはならないので、果てしないですが、一つ一つ編んでいくごとに出来上がった目がそのまま出てくれるので、成果が分かりやすいのです。なんでもいいんですけどね。草取りとかでも。気分で選んでいいと思います。

 そして続かないときは本当に疲れているので、観念して休みましょう。と自分に言い聞かせます。このためのブログですw。

 

 他の手芸は織物や糸つむぎ、刺し子、パッチワーク以外は繰り返しというのがあまりないかなと。バッグやがまぐちポーチとか布を加工するものやビーズなどは図案とにらめっこしながらとか、寸法を測って、切って。。。など工程が多いのです。単純作業の繰り返しというカテゴリでは、前述のものが良いのかなと。

 

 今回は織物もやっていましたが、いささか飽きてきたので、編み物に戻ってきました。休職直後は何かやっていたいと思ってしまっていたので、一日2個ペースでアクリルたわしを編んで、一年分以上できてしまったので友人にあげたりしていました。

 

 とても喜ばれたというのは単純にうれしいです。これも作業療法の一つの効果ですね。自分の周囲の社会に関わる一つのツールとして、自分は使える手作り品を欲しい友人に渡す。決して押し付けではなく、使う人に同意を得て、お渡ししています。

 それも大事かな。お互い納得して交換する。金銭の授受があるとまた別のことが発生するので違う話になるけど、ただただ自分が作りたくて作って、気づいたらできて、使いたいという人が現れて(発信はしましたが)、お互い義理でも建前でもなく交換ができる。それだととても気持ちが良いのです。

 

 さて、前置きが長くなりましたが自律神経の話。

 いろいろ思うところがあり、退職後勉強をしながら体調を整えてきました。

 その中で、身体の体調を整えるようになるまでに3か月。というのも、とある方法を試すときに言われたのが変化が起きて変わってくるのが3か月といわれたから。

 確かに梅雨時期があり、そこで一度崩れてしまったので足掛け4か月かかっていたけど、最近になってかなり身体の巡りが良くなってきたと思う。

 まず変えたのが食事と時間。酵素栄養学と時間栄養学を取り入れたメソットを習って実践できたのが大きいかな。あとは東洋医学

 あとは仕事を辞めると「決めた」こと。どっちつかずで迷いがある方がしんどい状況が続くと考えたので、心理士さんと相談して、一度辞めるということも自分の身体を余裕をもってモニタリングできたのが良かったと思う。

 

 なんで自律神経か?

 仕事モードの時はある意味戦闘モードなわけで。

 交感神経優位になるのは周知の事実。

 でも休息の時に副交感神経が働かないと真の休息が得られない状態になる。

 結果、自分は寝てはいるけど寝が浅く、下手をすると手を握りこんだまま寝ていて、朝起きたら手が硬く握りしめられた状態だったり、寝違えていたり、朝起きてひどく疲れた状態になっている。というのが続いていた。

 万年肩こり、子どもの時からの便秘(崩れるとウンココロでいうガチビシャうんちが出てくる)、関節は柔らかいけど筋肉は硬いとか。むくみやすいとか。身体の巡りが悪くなっていた。

 

 仕事を辞める2,3年前から手や下肢の異様な冷え、これはストレス性が原因と血流原因の冷え性が同時にやってきていたよう。今まであまり患者さんに触るときに手が冷たいなんてなかったのに、自分の方が冷たいということも多くなっていった。

 ストレスがある、緊張感が続くというのは本能的には戦闘モード。生命の危機に瀕すると判断されたらすぐに逃げたり戦わなくてはならないので、すぐに交感神経優位に働くのだそう。振り返れば、帰ってからぼんやりしていたけど、仕事に影響が出るくらいぼんやり時間が足らなくなっていた。

 

 もともと自分でご飯を作りたい性質なのに、時間と気力がなく、コンビニで3食が続いたり。すべてにおいて自律神経に悪影響を及ぼしていた感じです。

 体内に入った食物を消化するのにもコンビニのお弁当は負担になっていたみたい。油ものが多かったり、消化吸収がしづらいものばっかり食べていたし、栄養にならないものが多くなっていた。道の駅巡りができるくらい新鮮な野菜は大好きだし、自分で作るのも好きだったのに、全然栄養を吸収する土台がどんどん崩れていった。

 

 今はストレス耐性も上がってきていて、切り替えも早くなった。お通じも毎日来るようになった。つらいことがあると本当に眠れなくなる(交感神経が過敏になっている)けど、酵素貯金のおかげで、消化に負担がかからないし、不調の大敵であるストレスからいろいろと逃れる術が整ってきた。

 お通じがストレスに影響するというよりはストレスからお通じに影響するが正しいのかも。負担になっているときのサインの一つとしてとらえて良いと思う。

 

 過剰なストレスに当たった時に、第一にぼーっと休むこと自体がまず必要だったこと、そこから自律神経系の不調を整える食事ができたことで調子が少しずつ戻ってきている。妊活にも前向きになってきていると思う。

 

 ここまではTarzanEテレの番組と参加した講座の内容と実践からの体感の振り返り。

 

 

 

 もう一つ。読み漁った本の中で、びっくりしたのは自律神経の不調は周囲の人間にも飛び火するということ。電気信号だし、見えないものだけど、飛んでくるものらしい。これは、とあるお坊さんの本から。「やっかいな人を自分のお城に入れない方法」というもの。これも休職してからkindleで買っていたけど、最近また読み返してそれも実感してる。

 そこには「負なるものと共鳴するのが自律神経」という項目があった。念とか潜在意識というワードも無意識下で相手に影響するというのもわかってきたけど、自律神経もなんだ!と。

 

 副交感神経が整っている人と一緒にいると安心するのもそれなんだそう。相手のそれに影響されて、自分もそうなると。そして、交感神経が負のスパイラルに入っているときも同様と。イライラしてる、否定したい、どうしても攻撃的な心理状況の時は交感神経優位。自律神経のバランスは崩れている状態。

 

 そのような状態の人と場を同じにしているだけで誤爆することがあると。自分にその意思がなくてもダメージを食らってしまうことがあるそうです。そしてそれは経験していました。

 

 負のスパイラルに陥っている可能性のある人と一緒にいるとこっちもしんどくなる。

 自分の一番わかりやすいストレス反応は頭の中で今までの負の経験としていたものが駆け巡ってくる。自分が単純に疲れていると出てくる。相手が負のスパイラルに入っているときにもあると思う。相手に確認はできないから、こっちの実感として。

 ただ、それは相手が悪いわけではなくて、自分の中で対処すべきところ。自分の心が反応するということは、自分にもどこかそういう部分があるから、いい意味でも悪い意味でも共感ができるのだと思う。

 あとは外へ向かうときには関係性によって。関わりが薄ければ離れればよいし、こちらに余裕があって相手も話を聞いてほしいと思っていれば、応じればよいわけで。

 

 自分の傾向として、相手の意識と共鳴しやすい傾向がある。本当に無意識。余裕があった時はけっこう友達から一緒にいると癒される~といわれていたけど、余裕のない時は疲れているからなんだけど、そこをくみ取ってもらえないまま表面の表情で「怒ってるの?怖いよ」とか言われたり。

 

 患者さん相手だとうまくコミュニケーションにつなげつつ、使いこなしていた部分があったと思う。それも、相手の言葉や非言語の態度、社会背景から推測して、想像して気持ちに寄り添うというところなので、深いところまではシンクロしないようにしてた。仕事としての線引きをはっきり自分の中で決めていたから。分析屋の本領発揮。

 

 ただ、仕事仲間との線引きが難しかったのかもしれない。考えてみれば、職場内である時期に数名本当に調子が悪そうに見えるスタッフがいた。みんないろいろ抱えてて、それでも個人レベルの話なんだけど、仕事モードの表情になれないくらいどんよりしていた。みんなプロだから患者さんの前では崩れないけどね。

 

 自分も思うところがあってピリピリしていた時期はほかの人もピリピリ。そういうのはすぐに飛び火しやすいのかなと実感したこともあった。本当かわからないけど、そういうのってあるんだなと。それだけが原因ってわけではないけど、一つの要因になると思う。ただ、発信側がいくら気を付けていても、受信側がどうなっているなんて、コトが起きるまで分からないので、その都度よく話し合える関係性というのが大事なんだなと思った次第で。。。

 

 自分にだって嫉妬心があったり競争心があったりするわけで。でもそれもお互い様。相手だってその心が0ってことはない。こればっかりは自分と向き合って、納得するまで自分を研鑽するしかない。

 自分を責めやすいのでどんどん負のスパイラルに陥ってとてもしんどかったけど、こういうのはお互い様だというところに落ち着けるといいのかも。

 だから友達関係もむずかしかったのかも。ある程度心の深いところまで付き合える友人、表面的な部分で楽しさを覚えてくれる友人。残っているのは前者。後者は短期間だと良いけど、こちらが前者を期待してしまうと結果的につらくなる。というのも今、書きながら納得しました。

 

 あとは自分がいかに自分のために生きているかということ。これが一番大事。休職に入った時にとても実感した。「自分が自分のために生きることが大事」と。

 本当に責任が取れるのは自分のことだけ。相手のことまでは負えないし、相手に責任を転嫁するのは違うと思う。

 

 家族の関係性もそうだけど、支えあうけど、心の深い所や自分の感性、発言は自分にしか責任が持てない。ただ、愛してる相手なので、いろんな表現は素直に、よく話し合うことを大事にしています。お互い溜めて我慢をして、蓋をしたり蓄積したりしてしまうのも良く分かっているから。イライラはするかもしれないけど、落ち着いたら、自分に対して許して、相手と次のための話し合いをする。自分のルールは相手にとって違うから。でもやってほしいことは伝える。やってくれたことには感謝を。

 うん。家族には感謝しかない。

 それでは。編み物に戻ろうと思います。

 

#自律神経 #共感 #人との付き合い方 #自分のために生きる

いじめの話

こんにちは。

 

アクセス解析してるとみてくれている人がいらっしゃるようで。

はじめたばかりなのにね。嬉しいやら気恥ずかしいやら。

ありがとうございます。

自分のナラティブな部分を出すというのは勇気がいりますが、誹謗中傷がない限りは続けられるかな。批判をしたいわけではなくて、自分の頭の中の整理のためにやっているのでね。とある経験談として、見ていてくれていると嬉しいです。

 

 

 いじめられた経験もあるし、外見や行動について、人からの評価が気になってしまう。元気な時は良いけど、疲れてくるとそれが出てくるのよね。

 だからこういう話を出すときには慎重になる。リアルで話すときはこういう話をちゃんと受け止められる人を選んでる。

 ネットだとさらに選べないから、慎重にはなるけど、結局トラブルになるときは、お互いのリテラシーにゆだねるしかない。受け手側がどう感じるかは受け手側の問題でもある。でも相手にそういう気分にさせたことは発信側も自覚しなくてはいけないと思う。

 

 というところで思い出したから、今日はいじめられたときの話。といっても何されたというよりは、そのとき何を思っていたか。なんだけど。

 いじめについては、いじめる側の気持ちもわかってしまう。同時期にその感覚を経験したので何とも言えなかった。自分だって、いつそっち側になっているか。自分にも負の側面はあるんだよね。絶対に。差別的な感情は多かれ少なかれある。それも不安に近いと思う。

 

 いじめを受けたときに感じたのは、不快感を感じたときに相手を攻撃するのか、注意するのか。関係性にもよると思うし、いじめる側の心理状態にもよるんだなと。

 ただ、当事者とその周辺で全く様相が違う。いじめ当事者はだいぶ25年前と今とでは違うんだろうけど、自分が受けたいじめの首謀者はそれなりに背景があったよう。これはあとから分かったことだけど。

 私もツッコミどころ満載だったんだけど、あるきっかけがあって、途端に標的にされてしまった。きっかけは自分が作ってしまったから、覆せなかったんだけど。何がつらかったというと、そいつだけではなくて、その周辺の人間も巻き込んでいたということ。そして、いじめの当事者とは違う心理状態で少しずつ「私」の評価が固定されていったことだと思う。

 

 周辺の人たちは直接私に攻撃はしない。まぁ陰口はあった。自分もコミュ障だったし、人と違うことに興味があった分、集団に合わせようとは思わなかった。女だけど、野球したいとか。手作り好きだとか。

 今となってはそれが影響してるけど。一人遊びもできてしまうので、集団を俯瞰するという分析癖はその時から自覚的にしていたと思う。心のどこかで感情とは別の部分で俯瞰するって感じ。

 

 集団心理というのもその時に感じたかな。負の側面でもそこに合わせてしまうというか。別にその周辺の人たちに私が何か危害を加えたわけではないんだけど、一度レッテルが張られるとそういうイメージになるよう。それを自覚したら悔しいよりは悲しいが先に立ったかな。 

 面白いのが、全く交流のなかった一学年下の後輩が、中学で同じ部活になった時に、すごい下に見られたこと。いわゆる「ナメられた」。多分小学校の時に私がそういう扱いをされていたのを知っていたみたい。

 「お前関係ねーべー」って思ってた。やっぱり不愉快だったしね。それも負のレッテルの一つかな。「いじめられていた人間なら弱いだろ」ってというのが何となく伝わってきた。

 個人試合ではこっちが勝ってたから私自身はそこまでダメージがなかったけど。そいつもやっぱりいじめる側になりやすい奴だったね。妙に反抗されるし。陰口は叩くわ、ね。その奴の同級生に対してもいじめるような扱いをしていたみたいだし、見過ごせなかったしね。その時は、いじめる側は潜在的に自信がないんじゃないかって思ったよ。何かと突っかかってくるし。

 

 それでも、救いがあったのは自己を持っている級友もいたこと。だからすべてが敵というわけでもなかった。そういう見極めをしながら付き合っていたわけだけど。

 勉強ができるからと言って、自分を持てる強さがあるわけではないというのはそのとき実感した。いじめている当事者グループじゃなくて、その周囲にいる人たちがそんな感じだったわけで。だから人は勉強ができるだけでは評価ができないというのをはっきりと感じたね。さっきの集団心理というのか、負の側面もみんなに合わせてしまうというか。悪いようにとらえられてしまう。

 仲良くなろうとしたり、主張をしたりしていた私なりの努力を見てくれている人もいた。本当に心の強さって成績と関係ないんだなぁって思ったよ。もちろん成績も良くて穏やかな部活仲間もいたし。本当に人柄や性格はあまり関係ないと思う。

 

 学区が隣の小学校でも雰囲気が違うんだって思った。だいたい中学校って2,3校くらいの小学校が集まるから、全然雰囲気が違うんだ。これは今でもそうかもしれない。同じ団地なのにこんなに違うかって思ったさ。そして、卒業した小学校の同級生は本当に幼かった。その差は歴然だったね。相手にしてしまっていたけど、それが分かったから、心のどこかで距離を置いていた感じかな。相手にしないというか、自分で没頭できる世界を作る方が良いんだって。でも、なんでそういう扱いをしてくるのか本当に疑問だった。なんで?って。当事者はともかくあんたは私の何に関係しているの?ってね。

 

 こっちとしては悔しいし、悲しいけど、感情や意見をいいタイミングで外でうまく表現できないという負の側面もあるんだけど、なんでこういうこと(いじめや相手の批判、否定)するんだろうって思ったときに、その理由が相手の反応でだいたいわかるようになってきたというのも今ではいい経験だったのかな。なんか気持ちとしては乖離してたのかもしれないけど。

 だいたい決まって、「構ってほしい」とか、「みんなとちがうことやってる」とか、同じではないことの不安、嫉妬とか、結局いじめる側の負の感情の表現に集約されているような気もする。

 

 年齢的にあれから25年ほど経ったけど、いまだにその当時のことは思い出せる。衝撃だったしね。こんな分析してるけど、やっぱり自分が遊びたいなって思った相手と真っ当に遊べなかったのは悲しいし、つまらなかった。それでも一人遊びができてしまうし、親といるほうが興味が広がっていたから、良かったんだろうけど。

 

 ただし。やっぱりいじめられたことの禍根は残るよ。でも、自分のペースで生きること、月並みだけど大人になってからの方が友達が多いことは救いになる。変人はどこにでもいる。けどマイノリティなので、みんな主張ができるまでに時間がかかるから高校から大学、就職するまでなかなか出会わなかったりするんだけど。

 だから、気兼ねなく、負の側面も大きくなく、適度な尊重をしながら付き合ってくれたり、本気で心配してくれている人たちがいるというのもアンカーになってる。大人としゃべる方が楽しかったというのも当時の自分はアンカーになっていたのかな。

 

 もう一度言うけど、いじめは受けた当事者にとっては多かれ少なかれ一生の禍根になるよ。それだけは言える。同じ被害の当事者の気持ちが分かるとかいい側面もあるかもしれないけど、それを上回る負の側面がある。放った言葉の責任が負えないなら、軽々しく相手を侵すことはしないでほしい。こればっかりは受け手側の問題ではなく、放った側の問題が大きいんだよ。

 いつか放った言葉が自分に返ってくる。それが実感できるならまだ救いはあると思うけど。今の社会ってどうなのかな。心の成長の前に数字で見える学力や成績ばっかり。やれやれだよ。

 

 OTの仕事をして思ったのは本当に五感を使って遊んだり、体感することが自分の感情や価値観を育むんだということ。自分の世界を五感をもって体験して、自分の価値を体性感覚レベルで感じること。それが土台となって自己の世界が広がるんだ。

 いきなりいじめの話から飛躍してるけど、自己を確立する前提として、自分自身が楽しいと思うコトの一番初めは体性感覚の心地よさだからね。特に触覚。

 

 自分の身体の感覚が実感できることで外とのつながりをもつきっかけになる。と思う。共感力もここにもつながるかな。

 

 無意識に自分が安心できるアンカーがいない、感じられないというのも、いじめから逃げる・離れる体力・気力を奪っているのかも。家族の中、友達の中、先生との関係。全体的に人との関わりの濃さが希薄になっている印象があると思う。とはいえ、メディアが報じる内容はいつも同じようなものなので、一つ一つの事例を簡単に読み解けないので、想像でしかないけども。

 

 そして、価値感の均一化は逃げ場がない。答えは一つというような価値観もどうかと思う。答えのないことを考え続けることが大事ということです。

 

 オンリーワンを目指そうといいつつ、所属している社会の価値がそうでなかったりすると、自己の確立なんてさらに難しくなるんじゃないかな。社会というのは家庭、学校、地域いろいろですよ?

 別にオンリーワンでなくたって良い。自分にとって何が大事で、何が楽しいと思えるのかが大事。それが人との交流であったり、何かを作りあげることだったり、なんでもいいんだよね。それを大事にしている人たちに出会えると、楽しさが倍増します。すぐに仲良くなる。第六感的にびびっと来るんです(表現が古いですねw)。これも共感かな。

 もし、当事者の方で不快に思うようなことがありましたらばごめんなさい。いち経験者で人と関わる仕事をした中で感じたことなので。まだ私が触れていないこともたくさんあります。

 井の中の蛙にならないように。まずはここで一つの意見として。

 

#いじめ #振り返り #経験談 #感覚 #共感 #価値観

これまでの経過。

こんにちは。

昨日はエアコン使わなかったら、頭がぼーっとしてやばかった💦

今日は畑の水まきついでに気温を確認。昨夜から朝にかけてずっとむわーっという熱気がたまっていました。

今日は一日エアコンかなぁ。

 

ブログを始めてまだ日も浅いですが、頭の中がすっきりしてきました。

自己満足ではありますけども。初めて良かった。

思考が外に表現できると俯瞰しやすいですね。

うん!タイトル通り。狙った効果が出てきました。

 

というのも新しいことをする元気が出てきたというのは、心理士さんから「回復に向かっているというサインです。」と言われてそうなのかーと。

 梅雨時期は体調が逆戻りしたような気分でかなり落ちていたのですが、晴れてきたところで、朝から「よし!さんぽいこ!」って行動ができたんですね。あとはアロマにも助けられました。

 怖いこわい。梅雨の時期。来年に向けてというかまずは初秋の変わり目にいろいろと対策を打つ!

 

 さて、今までの経過としては、

 もともとあった過労に加えて妊娠→3か月目に入ったところで流産→ホルモンバランスがガチ乱れ→精神的にエネルギー不足で休職→退職。この間で付いた診断名は”適応障害”。厚労省もわかりやすい解説を載せてくれているので、理解はした。

https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_adjustment.html

 

 ということで、職場の心理士さんと心療内科の通院が始まった。最初は心療内科・心理士さんともに何もしないで休めというのが指示ではあった。というか、家事だけでもしんどかったので、最低限夕飯、洗濯程度にとどめて、ひたすら横になったり、マンガを読んだり、アニメ見たり、途中で急激に眠くなるので、それはそのまま受け入れて昼寝5時間!とか。それでも夜は眠れるので本当に脳疲労だったんだなぁと。

 

 でもなんか休職中は休まらなくて、風邪をひいて強制的に寝込むまでぼーっとすることができなかった。これまではちゃんとした休みがあってもできなかったこととかがもったいない、仕事をしていないのがもったいない。みたいな感じだったから。

 そして復帰することがまだ頭の中にあって、交感神経から副交感神経になかなか切り替えられなかった。いろいろ納得できなかったので心理士さんと言い合いになったり(そこまで激しくないよw)してたけど、自分に対して休むことを許せなかったんだというところに落ち着いた。これは前からあったけど、ようやっと向き合うことができた。

 

 脳卒中の患者さんの中にもぼーっとしてしまったり、集中力が続かないという方はいますよね。それを体験したという印象です。脳疲労の程度は違うと思うけど、出てくる症状は近い。

 実際、理性が働かないという現象にも陥っていたと思います。私こんなに自制が効かない人だったっけ?みたいな。変なイメージも出てきたり。バイオレンスな映像は受け付けなかったり。逆にイメージに影響を受けてしまったり。

 

 退職を決めたら本当に回復が早かった。何かを決めるというのは本当に効果がある。休むことに専念する。いろんな気がかりを断つ。心と体の方向性を合わせると言うんでしょうか。どこかでちぐはぐしていると、いろんな症状(いわゆる不調かな?)になって出てくるんでしょうな。

 

 

 作業療法士ではあるし、手作り好きなので、回復期を有効に過ごす手段・ネタはたっぷりあると自負してたところもあったけど、急性期は本当に動けない。

 ただひたすら休めることが先決になる。というか本当に動けないんですよ。作りたいけど、作る元気がない。動けるけど、易疲労性あり。すぐいっぱいいっぱいで泣いてしまったり。嫌なことを思い出してイライラしたり。そういう時はもう本当に何もしない。音も光もシャットアウトして刺激を減らして横になる。

 

 ヨガやマインドフルネスの誘導音声を聞きながら脱力ができると良いきっかけにはなっていたかな。マインドフルネスは心理士さんも医師も同意されてた。私は即効性があったかな。

 

 夜眠れなくなったら、アホな画像や面白い画像、癒される猫の画像を見てクスクス笑っているうちにしんどい思考が切り替わって、スッと眠れることに気づきました。

 

 医師からもマイナス思考が何時間1日続くようなら医学的な対策を打つけど、10分程度で戻ってこれるなら大丈夫と言われて、これも自信になった。

 

 もともと薬があまり好きではないので、食事や自然療法で何とかならんかなというところで、アロマやハーブはその都度調べながら使ってました。基礎化粧品も自作してますね。さすがに日焼け止めは難しいので一回作ってやめましたw

 

 子どものころから添加物や石油製品の影響は受けやすいというところで、母のおかげで石鹸生活、食品の選び方はすでに身についていたけど、年齢に合わせて対応すべきところがあるんだなぁと。そりゃ30年前と今とではいろいろ解明されたことが増えてきているから、それは更新しないと。

 というところで、退職した後身体を立て直すために酵素と自律神経、ホルモンの勉強を始めました。自律神経が整っていると、調子が良いのも実感できた。

 体調はだいぶ良くなってきて、むくみも取れて、今人生で一番下腿がすっきりしてるw

 今度は妊活やね。とはいっても産後うつになる可能性も否定できないので、十分にエネルギーを蓄えて、ホルモンバランスの乱れを最小限にとどめるべく今は栄養貯金を心も身体もするのが一番かな。

 自立するっていろんなサポートを受けてそこに立つということなんだけど、本当に実感してる。

 

 最初は恥ずかしながら心療内科のハードルは高かった。けど、うまい具合に薬も使わずに話し合いながら進められたのが大きいかな。話し合える医師と心理士というのは心強いです。あとはプライベートの友人たちかな。仕事で関わってても、声をかけてくれる人たちもいたしね。

 あのまま仕事してたら本当にうつ病になっていたと思う。気質的にもなりやすい自覚もある。いろんなアンカーをかけて自分の軸を保つことを念頭に行きましょう。

 マイペースマイペース。

 

心療内科 #適応障害 #自律神経 #精神的な過労 #ホルモンバランス

共感することと価値観とコミュニケーション

今日は蒸し暑いですね。

台風の影響なのか、海沿い特有の蒸し暑さがやってきました。

風は涼しいので、窓を開け放してエアコンから脱却してみようと思います。

もちろん水分、塩分は取りながら、暑すぎたらエアコンも使います。

冷房は大事だけど、ずっと空調が効いているところにいると結構しんどいんだよね。

今年は仕事していないから暑さに身体を慣れさせているから逆に調子が良い。

 

さて。

共感やコミュニケーションについて、仕事をしたり、人と接しているときに感じていたことを書いていこうと思います。

 

相手に共感するということは経験上、2つのパターンがあると感じています。

これから共感についての本を読むので、実際と違ってもご了承ください。

仕事をしていた時に買っておいて、時間と気力がなくて積読のパターンというお決まりのコースでいろいろと蔵書があるのです。これを機に読んでみようと思います。

 

まずは自分の実感と経験談から。

 

 ひとつは表面上の共感。偏見かもしれないけど、女の子同士の「あーわかるわかる!」みたいな。とても表面的。その場限りなら無問題。

 でもこの共感、時々とても気持ちが悪くなるんです。しっくりこなくて。なんとか合わせようとすると、違和感が出てきてしんどくなる。その場の和を乱すよりは良いかと思って合わせるんだけど、合わせきれなくて、我慢ならなくなる。

 

 相手の価値観が自分と違うとわかると途端に「合わせてよ!」みたいな、違うことがまるでダメみたいな価値観とかみんなと同じでないということの不安感がお互い出てきて、余計にこじれる感じ。

 

 こういう世界もあるって思ってくれるだけでも、キャッチボールがらくになるんだけども。どうも自分が良いと思ったものを受け手側も良いと思ってくれないと不安になる方々がいらっしゃるようで。そういう人だとわかるまでに結構時間がかかってくると、こっちもそれに気づいたところでだんだんしんどくなる。

 

 一般的に「みんな好きでしょ○○ニー」「だからあなたもそうよね?」という意識。とか。「こっちはあまり好きではない。」ということを受け入れられない。そりゃ好きな人は多いと思う。けどそこまで好きではないという人もいるわけ。どっちが多数意見とかというより、そういう人たちがいるということを受け入れられない感じかな。

 

 『○○ニー好きなあなた』を否定しているわけではないんだけどね。そういう気分になってしまうんでしょうか。すごく必死に良さを訴えてくるのだ。または集団からはじくような。

 でもこっちはもうそれについては、自分はそこまで好きになれないというのも自覚していて、それを上回る好きなものがあるから、無理に合わせられないんだよね。

 かわすなら同意をすればいいんだろうけど、そこも嘘をつきたくないし。自分がますますしんどくなる。全く嫌いではないし、曲とか良いなって思うことはあるけど、現地に行ってまでというのもある。人混み苦手、絶叫系も苦手、作られた世界だって認識してしまうので、シンクロできない。ほら好きな要素が少ないのに、共感は難しいでしょう?そこをわかってほしいんだけどね。いいじゃん!好きでも嫌いでも。

 ○○ニー好きという感情は認めてるよ?。好きなものがあるのは良いことだし、好きなものを追求したりするのはみんな同じ部分だと思う。だからあなたは否定しないよ。だけど自分の好きなことを相手に過剰に求めるのはやめようよということ。

 

 こっちとしては「放っておいて~。」ってなる。うまく察してフェードアウトしてくれれば良いんだけど、それができない人もいる。で、面倒なことに、こっちもなんだか寂しさも出てくる。そりゃそういう押し付ける部分がわかるまでは楽しいって思っていたりするわけで。

 こっちの相手の尊重の仕方が合わない。ギブ&ギブじゃない、一方的なコミュニケーションになっているってことに気づいていない。新しい人を受け入れやすい環境づくりに徹していたら、いつの間にか飲み込まれていたということに気づく。でも時すでに遅し。相手のペースになってしまっている。

 よくある話だとは思うけども。

 

 仕事だけでもこういう壁を作らずにやり取りができると助かるんだけど、こういう方がいるとなんだかとってもやりにくい。自分も相手も壁を作ってしまうから。

 プライベートな話題はある程度分かるまでは開示しなくてもいいのかも。でもコミュニケーションと考えるとある程度開示する方が相手もこっちが何者かが見えてくるから安心するというのもあるのかな。

 

 こういうのもいじめの発端にもなる。価値観の相違を受け入れられない。自分視点を他者視点に切り替えられないみたいな。偏見も同じ感じ。

 

 おっと長くなってしまった。


 共感のもう一つは本当に似たような興味関心を持ってる人としゃべっている時の共感。好きなものが一緒というまでは表面的な共感の範囲だと思うんだけど、潜在意識の話になるのだろうか。共通認識が深い部分では潜在意識レベルで価値観が近いということかな。

 まだちょっと潜在意識については整理できてないけど、タロットの無料講座で潜在意識の話が出てきたので、興味はある。いろいろと触れたスピリチュアルなお勉強の中でも結構出てくる。

 

 こういう興味関心や潜在意識の前提条件がそろっているととても心が楽なのです。話のキャッチボールがスムーズで、変な競争意識や嫉妬もなくて。ただただ純粋に話したいことそのものを話せる感じ。別の世界に出会っても受け入れられる感じかな。

 

 患者さんとのやり取りで話すテクニックとして使うこともあるけど、お互い大人だし、そこはかなり意識的に関わっているかも。結構慎重に。だけど、フレキシブルに。だからあまりトラブルがなかったんだなぁ。

 

 子どもも同じだったと思う。子どもの好きなものを興味を持って接する。同じものが好きって言われたときにこっちも嬉しいというものを出してくると、本当に素直に嬉しそうにしてくれるんだよね。素直な分、反応も早い。嘘偽りなく付き合うって難しいかもしれないけど、子どもの方ができてたりするんだよね。だからそれを見抜いてくる。相手のことをよく見て感じていると思う、子どもの方が。

 それがだんだん大人の価値観で学習していくと、表面上の価値観が固定されてしまう場合もあって。難しいねー。

 

 というところで、とりあえず頭の中は出したので、ゆっくり共感についての本を読んでみようと思います。

 では~

 

#コミュニケーション #価値観 #共感